不妊治療

結婚16年で総額600万の不妊治療の末41歳で出産した体験ブログ 

前編

はじめに

こんにちは!るーくママです😊

はじめに

これは私の壮絶な不妊治療体験記

私の人生の10数年間もの長い間、

不妊治療という真っ暗な出口の見えないトンネルを彷徨い

もがき、苦しみ、嫌な思いも沢山したし湯水のようにお金も使ってしまった。

まるで世間と隔離されているかのような日々を送った10年間があったことを

子供が出来たことで今では忘れかけている。

ただ、るくるく家にとって現実に経験してきた過去の歴史であり、

今もなお同じように苦しんでいる夫婦の存在や気持ちを考えると、

ほんの少しの希望や勇気、人によっては今の不妊治療を見直すヒントにもなればと思い

体験ブログとして書き残そうと思う。

表題のとおり約600万円という多額の治療費を使い果たしたが、るーく家の世帯収入は

平均以下の以下、日々の節約と独身時代に貯めたお金をやりくりしながら支払ったことを

付け加えておきます。



不妊治療に至るまで

結婚からすぐにでも子供が欲しくて夫婦生活をチャレンジしても、

次の生理はまた来た…

私は10代の頃から毎月の生理がめちゃくちゃ重くて

生理の痛みで通学中の電車に乗れなかったり

スーパーで座り込み冷や汗💦をかいたり日常茶飯事だった。

痛いー、痛いー
寝転がっても痛い!!

高校生の時から生理痛は周りの友達よりも酷いな、と思っていた。

 

私は24歳で結婚し周囲では結婚一番乗りだった。

しだいに友人達も次々と結婚していった。

親友も結婚することになって結婚式に呼ばれた。

(私より先に妊娠しないよね?)ぼんやりそんなことを思った。

年賀状には子供の写真付きが多くなっていく。

“結婚しました。お腹には新しい命が宿っています。”

”夏にママになります“

”子供出来た?“

というコメントから、

まさか出産したとは知らなかった人から

“新しい家族が増えました”と

かわいい赤ちゃんの写真のアップ

(えーっ、赤ちゃん生まれたんだぁ。いいなぁ。)

毎年毎年元旦に周囲から取り残された気分を味わう

年々写真に写された子供達も大きくなっていく

小学生なんてアッというま、だ

1人の親友もなかなかできないんだよね~とは言っていたけど

結婚後1年半位で妊娠し出産した。

その親友に出産祝いを持って遊びに行くことに。

デパートで出産祝いのプレゼントを選んだ。

”赤ちゃんのものを選ぶのって楽しい!”

その友人の家に行き、赤ちゃんを見た。

めっちゃかわいい!!フワフワ~と思った。

友人「抱っこしてみる?」

私「うん」

抱っこの仕方をレクチャーしてもらいながら、ぎこちなく抱っこした。

まだ友人の子を見る余裕がこの頃の私にはあった。

帰り道、都内の駅で、ある不妊治療病院の看板が目に留まった。

なんとなく気になって何かで読んだ事あったのだろうか?

のちにその病院に通うことになるとはその時は思いもしなかった。



初めての診察

 

26歳の時、近所の「○○〇産婦人科」に勇気を振り絞って行ってみた。

初めての内診台

(やだなぁ…)

男の先生だった
超音波検査

いででてて😭😭😭

着替えて先生に呼ばれる。
「お子さん出来にくいの?」
「はい、、」

「恐らく、子宮内膜症ですね」と言われた。
そして子宮内膜症の説明を絵を見て説明された。

今思うと、何故そこで子宮内膜症と言われたのか疑問だ。

卵巣が少し腫れてたからかな?血液検査もしないのに、断定出来るわけないのに。

 

「たまたま、今日明日が排卵しそうだから、今日頑張ってね」と言われて終了。

特に子宮内膜症の治療については言われなかった。。

自分なりに子宮内膜症調べてみたけど、よく聞く病名だし、

あまりよく分からないなーって、深く考えなかったし考えたくなかった。

まっ、しばらくは様子見で妊娠もそのうち出来るかな!

とこの頃はまだまだ何も分かっていなかった。。

 

もしもこのブログを読んでる人がいたら、

妊娠は40代でもする人はすぐするってこと

20代の若さでもしない人はしないってこと。

 

不妊症…の定義にあるように1年以上夫婦生活を持っても妊娠しない場合というのは本当だなって思う。

私の時代は2年以上だったけどね。

今は定義ももっと厳しいな〜

これから自分が過酷な道へ進むとはその時は全く思ってなかった。



26歳

26歳の時、

不妊とは関係なく体調を壊し約1年ほどその治療を行った。

風邪くらいしか引いたことなかった私が、両膝が風船のように膨れ上がってしまった。

もしかしたら関節リュウマチかも?と疑われた。

初めは近所の整形外科を受診し、名前は忘れてしまったが出された薬を飲んでいた。

一向に良くならず主人と相談し東京の大学病院へ一緒に行ってもらった。

女医の先生だったが、ややヒステリックに

「あなた子供はこれからでしょう?」

「なんでこんな薬出すのよ!」

近所の整形外科医が出した薬に不満があるようだった。

どうやら妊娠に影響があるらしい。

その時からずっとこの出来事が引っ掛かっていた。

得体の知れない病気のせいでどん底の気分だったけど、徐々に回復していった。



29歳

 

 

29歳になった。

相変わらず、子供はできない。

排卵チェッカーは毎月何本も使ってタイミングをみる。

今月はできたかも?

妊娠検査薬を使ってみる。また陰性、また落ち込む、、

ちょっと焦ってきた。

色んな人に

「お子さんは?」「お子さんはいくつですか?」

「あれ?お腹大きい?」

いやいや、大きくないですよー。

おなかがが出てるだけ。

当時チュニックみたいな服が流行りだした。

気楽に着れるはずの服なのに勘違いされるから着れない

そんな事を聞いてくる挨拶程度しか話さない人もいたけど

一番孫の誕生を期待している親はどうだろう?

結婚2年目くらいまでは少しは言われた。

両親からは「子供作る気はないの?」「○○ちゃん産まれたって」

「早く生まないと私も歳いったらみれないよ」「もう結婚して何年になる?」

当初は多少言われたけど、私のことを気使ってか世間で言われているほどは

言われなかった。

親も周りからお孫さんは?と聞かれるだろうし、早く欲しいなと思っていたはず。

何より、自分の子供が欲しいけどできないのなら可哀そう。となっていたと思う。

自分に深く関わる人は皆気をつかってくれて、それほど嫌な思いはしなかった。

皆、その話題には触れなかった。

かなり、恵まれているのだろうなと今振り返るとそう感じる。

相手の生活の背景を想像して言葉を発したり、

行動することが出来る人が周りには居た。

自分もそうならなければいけないのだなぁと思う。



30歳

 

30歳になった。

 病院行ってみようかな。

 大病院は調べたけど、取り敢えず近所の病院に聞いてみよー。

 あまり深く考えずに自転車に乗り、少し自宅から離れた産婦人科へ。

「あのー、不妊の検査とはかやってもらえるのでしょうか?」

は?みたいな顔をされて「そういうのはやってないので、専門のところへ行って下さい。」

 ですよね?嫌な感じ。

 出直そう

次にさらに遠くの不妊専門病院へ

ちょっと古い感じだが…

不妊専門病院① 〇〇〇〇産婦人科

先生は東邦大学医学部出身で、当時は〇〇〇クリニックを兼任し

そのクリニックを立ち上げの際に東邦大学グループで協力されていた方と記憶しています。

 

 

 

 

電話をしたら、体温表をお持ちくださいと言われる。

 

行ってみたら、激混みで靴の置き場もないくらい。

待つ、待つ

 

不愛想な60代位の男の先生

 

体温表を出すと

 

先生「うわー、ガタガタ」

私 (そう?)心の中で思った。

 

横にいた看護師さんが「ガタガタじゃないですよー、大丈夫よ」とフォロー

基礎体温表は低温期、高温期があり排卵を境に高温期移行する為、

きれいなカーブを描くと良いとされている。

 

次に内診

めちゃ痛い。「動かないで!」

「右の卵巣が腫れてるね。チョコレート嚢腫だね」

チョコレート???

「宇多田ヒカルが子宮内膜症って言ってたの知ってる?あれと同じ病気」

「子宮内膜症に効く薬は妊娠が一番。妊娠は生理を止めるからね。」

「原因が分かって良かったね。」

 

あれ?先生意外と気さくな感じなのね~

 

内診が終わり、チョコレート嚢腫(嚢胞)の説明をされる。

 

 

原因が分かって良かったと先生は言っていたが、ネットで調べると

子宮内膜症チョコレート嚢胞があると妊娠率はかなり下がり、色々な不妊原因の種類があるがその中でもかなり妊娠が厳しいと言われているようです。

 

右側の卵巣が2㎝程腫れていたようで、チョコレート嚢胞との診断だったと思う。

 

確かに生理痛は毎月冷汗が出るほど酷いし、排便痛もある。

お尻の下から突き上げるような痛みも生理以外の日常に起こって、動けなくなる事も

多々ある。

 

その日は採血をして(クラミジア、B型C型肝炎等)次回主人の精液検査を行う為容器を頂いて帰宅

 

 

今後のスケジュールとしては、早めにステップアップした方が良いので

次回AIH(人工授精)へ移行

精液検査も同時に行う事になった。

私はD3からクロミッドを内服。途中1度卵胞計測に行く。

 

 

指定された日、夫の精液を容器に入れ布で巻いて人肌温度と言われていたので洋服の中に入れ電車へ。

急いで向かい受付に提出した。

 

またもや激込みの為、しばし待つ。

ここの病院は予約制ではない。

 

ようやく呼ばれた。

 

先生「ご主人の方の動きは悪くないね!運動率80%、高速精子もいるし問題ないね。」

私「そうですか。良かった。」

 

それからはじめてのAIHを行った。

AIH(人工授精)はのちに行うIVF(体外受精)ほど抵抗はない不妊治療である。

 

看護師「30分ほど休んで大丈夫なら帰宅して良いです。」

私「今でも凄い痛いんですけど、、」

看護師「あら、じゃあ奥まで入ったかもね」

私「・・・」

 

時間経過してもまだ痛いけど、何とかゆっくり帰ろう。お会計 約2万円也

しかしやっぱり期待は膨らむ。

 

今回はできたかも!

と想像妊娠の日々

 

生理近くなってきて、いつもの生理前痛みたいのがある。

次は生理予定日1週間後位が来院日だけど、その前に普通に生理が来る。

 

「やっぱり生理きちゃったよ」主人にそう伝えた。

 

 

生理が終わってまた病院に行く。

 

先生「今回は残念だったね。もう一度AIH(人工授精)してみましょう。

その前に子宮内膜症が気になるから、チョコレート吸引しましょう。」

 

私「吸引ですか….」

 

この頃まだネットの情報が今ほど多くなく、自分に知識もなかったし調べてもよくわからなかった。

 

 

その吸引とはチョコレート嚢胞アルコール固定術の事で

 

経膣プローブで観察しながら、卵巣に針をさして嚢胞内の古い血液を吸う。

そのあとにアルコールを注入し固定し少し時間を置いて、またアルコールを抜く。

 

 

最近ではこの方法が行われているのかは定かではないが、

当時はやっている医師が多かったのだろうか?

 

また、私のされた吸引がアルコール固定術だったのか?

単なる吸引だったのか?

もハッキリ分からないし説明もなかった。

 

後から考え、ネット検索すると、

まず事前検査がかなり必要でリスクがとてもあるそうだ。

 

 

 

 

吸引を受ける日になった。

術着に着替える。局所麻酔で日帰り手術と言われていた。

 

恐い、、、

足がガクガク震えて来た。

膣の裏に麻酔を打って、長い針で吸引する。。無理無理無理

 

先生が来た。

看護師「すごい緊張されてるようなんですけど」

先生「大丈夫だよ」

不愛想だけど、信頼おけるかなとその時は思っていた。

 

手術が始まり、かなり血液が吸われていく感じがみえた。

痛みは思っていた程ではなかった。

感染症防止の飲み薬をもらって終了。

 

後の診察で随分吸いました。と言われた。

 

後にもう一度AIHを受け、結果は陰性転院することにしました。

 

現在ではこちらの病院は閉院したようです。

続編はこちら↓

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